一位になれることにお金をかける。

「二位じゃダメなんでしょうか?」事件から早10年でしょうか。時代は米中の量子コンピュータの覇権争いが繰り広げられています。仮にあの時一位になろうともがけば、今も日本は技術の中心にいたかもしれません。

 

今朝の日経、JAXAの貧乏が取り扱われていました。年間予算はNASAの10分の1程度だそうです。記憶に新しい「はやぶさ2」の偉業は、たしかにその技術力を低予算で達成したところにもあるかもしれません。しかし、これまでにもJAXAがその貧乏のためにあきらめてきた偉業が多々あることも、確かなことです。

 

量子コンピュータも、20年前、NECがとっかかりを見つけたそうですが、時代は選択と集中、これを国としては選択しませんでした。

 

もちろん国としてもお金をかけるべきところの選択はいつだって「主体的な選択」に限られないことはわかります。仮に私たちも、自治会長婦人に「今年作ったトウモロコシがこんなに余ってるんだけど、ちょっと買い取って?」とか、自治会長息子に「お月様行きたい!お月様いぃきぃたい!」と言われれば、トウモロコシを買ってみたりスペースシャトルのおもちゃを買ってあげるかもしれません。選択的な選択という事ばかりではなく、環境要因的な、受動的な選択というものもあるでしょう。

 

僕が言いたいのは、政治的なことや国家の金の使い道ではなくて、私個人の金の使い方についてです。来春からいよいよ社会人になる私にとって、とても大事な話です。

 

こういうニュースや最近の世相を見て、もしかしたらこれでもいいのかもしれないと思ったことは、私の恋仲が、「あんた結婚したらお小遣いはWAONだからね。」

 

私は中高男子校、浪人中もほぼ野郎の中で勉強、大学で女の子は5%程度かつ全員駐豪からの留学生という何とも恵まれない(?)環境で育ちました。社会人になったら!お金ができたら!女の子とも遊ぶぞ!そんな風に(もちろん恋人がいる今、女遊びは考えませんが)思ってました。少なくとも、お金ができたら何に使おうかなぁと、いろんな妄想にふけっていたのは間違えではありません。

 

それが、WAONだと?

 

でも今は平気。大丈夫。仮にこれが受動的な選択だったとしても、この選択は間違いを犯さないはず。お金については、もう間違った選択すらできないはずだから。